2025年6月末日。
今年の梅雨はどこに行ってしまったのでしょう。
私の住む地域は梅雨入りとは名ばかりで、ほとんど雨が降らない6月となりました。
恵みの雨は農作物のみならず、市場に並ぶ花の生育にも必要不可欠なもの。
雨が少なかったことで、これから出荷される植物にも大きな影響が出ないことを祈るばかりです。特に需要が高まるクリスマスシーズンや年末の花々に影響が及ぶと、相場に大きな乱れが生じ、業界全体の混乱が予想されます。
改めて、自然の恵みを分けてもらって日々暮らしていることを痛感します。
2025年6月末日。
今年の梅雨はどこに行ってしまったのでしょう。
私の住む地域は梅雨入りとは名ばかりで、ほとんど雨が降らない6月となりました。
恵みの雨は農作物のみならず、市場に並ぶ花の生育にも必要不可欠なもの。
雨が少なかったことで、これから出荷される植物にも大きな影響が出ないことを祈るばかりです。特に需要が高まるクリスマスシーズンや年末の花々に影響が及ぶと、相場に大きな乱れが生じ、業界全体の混乱が予想されます。
改めて、自然の恵みを分けてもらって日々暮らしていることを痛感します。
街の中でふと目にする、文字や数字の配列の美しさに目を奪われるときがあります。
例えば、大きなトラックに乗っている外国からやってきたコンテナに書いてある文字。
他には電車や飛行機の案内表示。
最近はワインのラベルがとても綺麗で、思わず手に取り、そのまま購入してしまいました。
様々なモバイル端末やイヤホンなどの充電ケーブルを、どのように整理していますか?
我が家では電源タップを使って、たくさんの充電機器をひとつの箱の中にまとめるようにしています。
最近はこのボックスの中で、戦国時代さながらバトルが頻発しています。
はるか昔から、こんなにも人の心をつかんで離さない。
そんな花は他にあるでしょうか。
普段は「花より団子」の人さえも、桜の開花情報だけは気にかけていたりする。
私たちの心を弄ぶかのように、つぼみのままジッとしていたり、あっという間に散ったりして、気が付けば来年までお目にかかることができない桜。
やはり桜の魅力は特別ですね。
日常的に使う道具は耐久性が大切ですが、日々目に触れるものなら更に美しいと気持ちが良いものです。今回は最近購入して良かった2点をご紹介します。
ひとつは土鍋。
鍋料理は冬のお助けメニューですよね。
とにかく忙しい時や献立に悩んだときは鍋料理を作るのですが、この冬は今回購入したKINTOの鍋が大活躍してくれています。
今年度は自分にとって節目の一年。
人生の折り返し地点に立っているという自覚とともに、いわゆる「ミッドライフクライシス」の渦中にいることに、戸惑いを感じています。
この一年は学生時代からの同い年の友人たちと旅行をしたり、食事をしたりして、共にここまで元気に頑張ってきたことを祝い、少しずつ表れ始めた体の不調や未来への不安を共感しあう時間を持つことができました。ライフスタイルは異なれど、同じ時代を生きてきた同志として、互いを労う貴重な時間になったと思います。
2024年。
今年もたくさんの仕事に恵まれた一年となりました。
大きなトラブルもなく終えることができたのは、家族の協力、スタッフの奮闘あってこそ。仕事と生活、両方のバランスをとることができ、充実した日々を過ごせたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
気温が低い季節になり、ホッとしています。
ほとんどの生花は高い温度下に置くと早く開花して寿命が短くなるため、寒い冬の方が管理がしやすいのです。
そのため暖房の効いたお店や部屋に入ると「この気温では花が長持ちしないな」とか「このくらいならギリギリいけるな」と気温に対する花のもち具合を自然と考えてしまいます。
私自身も暖かすぎるより、ほんの少しだけ暖かい部屋の方が落ち着くという、すっかりそんな体質になってしまいました。
数年前、南原清隆さんが佐渡島を旅しながら、世阿弥について熱く語るテレビ番組を見たことがきっかけで、一冊の本に出会いました。
「世阿弥最後の花」著:藤沢周
それまで世阿弥と言えば、父の観阿弥と共に歴史の教科書に出てきた人物で、日本の伝統芸能である能を作ったということぐらいしか知りませんでした。
しかしその本の中の世阿弥は老いてなお美しく、人々への優しさ、佇まいや能への情熱から、流刑された先でも老若男女を惹きつける、とても魅力的な人物でした。
「タイパ」・・・タイムパフォーマンスの略、かけた時間に対する成果のことを指す
効率的に時間を使って仕事や家事をこなすことが、いつの間にか「自分の当たり前」になっていたこの頃。
自動食器洗浄機、ロボット掃除機2台、洗濯乾燥機をフル稼働させて、いかに短時間で多量のタスクをこなすか。何かを選ぶ時も無駄に時間をかけない、迷ったら効率の良さそうな方や失敗のなさそうなものを選ぶ。
そんなタイパ重視で長年やってきましたが、正直にいうと何だかとても疲れました。ただの自己満足にすぎないことに、やっと気が付けたのかもしれません。