先日、母と息子と一緒に動物園に行ってきました。
最近少し膝が痛い母は杖をついて。
たくさんの動物を見たくて気持ちがはやる息子は小走りで。
体力気力が異なる3世代での行動はちょっと大変ですが、良い秋の一日となりました。
以前、動物園に行ったときは子供がまだ幼く、終始気を張っていて疲れましたが、子供が少しだけ成長した今、久しぶりに私自身もゆっくり動物を見ることが出来ました。
世界最大の死肉食(狩りをせずに死肉のみ食べる!)の鳥 アンデスコンドル、蛇を食べるヘビクイワシ、首がくるくる回る愛らしいフクロウに感嘆し、テナガザルの人間を挑発するような動きにくぎ付けになり、マンドリルの顔とおしりの鮮やかな色合いに心底びっくりして、動物園を隅から隅まで楽しみました。
くちばしの色が鮮やかなエトピリカという鳥を前に、「窓をあけて電線にこの鳥がとまっていたら、私は気絶するな…。」等と話しながら、自分が知っている世界がいかにちっぽけであるかを痛感し、ちょっと恥ずかしい気持ちになったのでした。
珍しい(と勝手に思っている)動物が地球の裏側で自然の中で生きていることを思うと、私が日頃、目にしている世界はほんの一部。あたりまえと思っていることは、あたりまえじゃないかもしれないぞ、と。
自分の経験をもとに、つい子供に「あたりまえ」を押し付けてしまいがちですが、それも良いことではないな、と反省しました。
動物を見終えて出口に向かう途中、地味な沼があって、鳥や亀の説明パネルが立っていたのですが、その中に「河童」のパネルも混ざっていました。
頭に皿、背中に甲羅がある妖怪で、ものすごい力で沼に人や動物を引きずり込むと書いてあり、動物園のユーモアを家族で笑いましたが、果たしてこれはユーモアなのか。
河童は実在しない、というのはあたりまえではないかもしれない。
彼は沼の底で、私達3人が沼をのぞき込むのをジッとみているかもしれない。
そんなことを思いながら帰路についた秋の一日でした。
(2022.10.27 こまつ)
