第221号 トルコを想う

2月に起きたトルコの地震により、トルコとシリアにおいて多数の死傷者が報告されています。被害の大きさから、復興まではかなり長い道のりが予想され、現地の状況を想うと胸が痛みます。

かつて私は学生時代にイギリスに短期留学をしましたが、そのクラスで一緒だった友好的で親切なトルコ人たちの事を思い出さずにはいられません。

そこは英語を母国語としない国の人々が通う語学学校だったのですが、クラスにアジア人は私ひとり。英会話はほとんどできないけれど文法だけはややできる典型的な日本人タイプの私は、中上級クラスに配置され、毎日の授業でかなり苦戦を強いられていました。

授業の難しさはもちろんですが、それ以外にも調和を重んじる日本人の国民性と、自己主張が強い諸外国の国民性の違いだったり、約束の時間に誰も来ないというルーズさに辟易したりして、留学の楽しさというよりは外国生活の洗礼を受けて、私はどんよりとしたオーラを放っていたと思います。

そんな時、同じクラスのトルコ人たちは(なぜかクラスにトルコ人が多かった)、いつも笑顔で話しかけてくれて、休み時間にクッキーをくれたり、日本の文化について質問してくれたりしたのでした。

ある時、一つ年下のトルコ人の女の子が、授業中に「ファウンド」の意味が分からなくなって先生からの質問に上手く答えられなくなっている私の腕を横からツンツンとつつき、自分のペンを椅子の下に置き、顔の横で両手を広げて、言葉の意味をジェスチャーで教えてくれたのでした。
(found=find【見つける】の過去・過去分詞形)

それを機に仲良くなり、授業ではいつも隣に座って様々な情報交換やお互いの国の話をしたりしていました。

あれからとても長い時間が経って連絡先もわからなくなってしまったけれど、私は今も時々彼女の顔と名前を思い出します。

先日、僅かばかりではありますが義援金を寄付しました。
どうか彼女たちが元気で暮らせていますように。
現地の一日も早い復興と、心穏やかに暮らせる日が戻ってくるようにと願わずにはいられません。

(2023.3.25 こまつ)